一念一想(いちねんいっそう)から無念無想に。

禅の修業の中で、打坐(だざ)を組み無念無想の境地を感得(かんとく)することは以外に難しいそうですね。
野狐(やこ)禅(注1)に陥ったり、無念夢想どころか神経数弱になったりする方も結構いるという。
江戸中期の僧で、臨済宗中興の祖といわれる白隠禅師(はくいんぜんじ)も神経筋弱に陥ったという。

無念無想(何も考えず何も思わず)の境地になりたいと打坐を組むが、無念無想の境地になりたいと思えば思うほどいろんな妄想が脳裏を駆け巡る。らしいです。

禅の坊さんでも難しい無念無想。一気に無念無想が難しければ、せめて一念一想(いちねんいっそう)から出発したい。凡夫のわたしたちは。

でもって、残像トレーニング。
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写真ではよく判明しませんが、イメージの中心に小さな黒点があります。 この絵の中心にある「点」に強い意識をもっていき20秒ほど眺めます。(一念一想)
眺め終わったら軽く瞼を閉じます。ほんの一瞬の暗闇の世界から、補色効果の残像が目蓋の裏に現われます。

残像効果を意識する必要はありません。穏やかな気持ちで見えれば見る。見えなければ見えないでほっておく。この動作を二三回繰り返す。

残像を見ることが目的ではありません。小さな一点を凝視したあと目蓋を閉じて残像が出現するまでのほんの一瞬。これこそが時間は短いですが無念無想の境地。

思いついたときではなくて、毎日の習慣にすると良いみたいです。ものの二三分あればできることですから・・・・。
効果の程は、文字で説明するよりも実行して自分で感じることが一番かな!?
でもって、残像トレーニングを利用して、一念一想(いちねんいっそう)から無念無想に。

ポビーは、こちらのサイトの画像をダウンロードして、携帯電話にリサイズして保存。時々携帯電話を見つめて一瞬の無念無想の境地。

(注1)禅の修行者が、まだ悟りきっていないのに悟ったかのようにうぬぼれること。
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by pobby777 | 2006-12-18 21:32 | 生活習慣
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